薔薇の下の怪人


この文章では、『オペラ座の怪人』と『薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク』の話を比較してみます。クリアしたことのない人はネタバレですので、この文章を読むのをお勧めしません

エレクトラ

この作品は「母親が死んで、父親と結ばれた息子」の物語です。
これは精神分析の用語で言えば「ネガティブ・エディプス・コンプレックス」ということになるのでしょう。
エディプス・コンプレックスは、父親を殺害して、母親と結ばれたいという息子の願望です。それの逆で「母親を殺して、父親と結ばれたい」ですから「ネガティブ」がつくのですね。
月村にあるのは、自分が父親を誘惑したから、母親は死んだのかという罪悪感と、自分は母親に勝って、父親の愛を独占したのだという禁断の喜びでしょう。
母親は自分を死ぬことで、見捨てたのだという感覚もあると思います。

しかし、この作品のシナリオ担当者と主な読者は女性です。ですから「エレクトラ・コンプレックス」という観点からも考えられます。
母親を殺害して父親と結ばれたいという娘の願望を、「エレクトラ・コンプレックス」といいます。

エレクトラは、「オレステイア」の登場人物ですね。
しかし、父が母に殺されて、その仇を討つエレクトラの場合は「父親と結ばれる」という展開は、ありません。

クリスティーヌ

ミュージカル版の『オペラ座の怪人』がこの種の「少女は思春期に、誘惑者としての父親に出会う」という話の中では、有名なものではないでしょうか。
『オペラ座の怪人』は、だいたいこういう話です。
父親を早くになくした美しい少女クリスティーヌが、仮面で顔を隠した天才的な音楽家に歌のレッスンを受けて、主役デビューを果たします。しかし、「オペラ座の怪人」と言われるその音楽教師は、己の素顔の醜さをあざ笑った男を殺したり、公演中にシャンデリアを落としたりと、罪を重ねていきます。
そして少女に自分と結婚しろ、己の作曲した歌を歌えと迫ります。
少女はおそれ、そんな彼女を幼なじみの貴公子が、守ろうとします。

『オペラ座の怪人』は魔性の男に魅惑され、幻滅する少女の成長物語を描いて、大ヒットとなりました。
これは父親を亡くした娘が、父親の代理を求める話です。しかし、その「父親代理」は美しい娘である彼女に恋をしていて、保護者から支配者、誘惑者へと姿を変えていきます。少女は最初は魅惑されますが、やがて幻滅します。

『薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク』に置き換えれば、父親に保護されない存在である要が、教育者である「父親代理」に出会うという話でしょう。

「教育」ということに関してですが、父親を素晴らしい男と思うのは、幼少期ならば普通です。幼少期に「自分の父親は最低」とか思っている少女は、すでに傷を負っています。その傷こそが悪魔を呼び寄せるのでしょう。そして多くの少女は、父親の望みどおりの娘でありたいと望みます。それが親の呪縛というものです。

『薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク』は、パターンとしては悪魔的な男と内気な処女の物語です。他の章でも書いたように、「普通でない男が大人になりたくない少女」を誘いに来るというのは、お伽話の典型なのです。

少女には少女なりに、自分の夢と現実の境を悩む必要があるということでしょう。
最初から、普通の男の子で満足している女の子に、内面の深みはありません。
内面というものが果たして生きていく上で、必要なのかどうかは知りません。あると余計に生き辛かったりしますが、内面は教養の基礎です。
なので「並外れた男をあきらめて、並よりはいい男と結ばれる」というパターンの少女の成長の物語は、結構リアルな人生の真実なのかもしれません。

少女まんがには、幻想としての男が必要なのです。
そしてそれを手の届かない美しい夢、あるいは悪夢としてあきらめることで、少女は大人になるのです。
人にとって幻想が最も重要なのは、思春期なのでたいがいこの手の物語は思春期の少年少女を中心に語られます。しかし、人は老いてもなお、美女の夢を見ます。
思春期を過ぎたはずの月村が、死を目前にして要に夢を見たように、若さに夢を見ることもまたあるでしょう。

初出2007.11.10 改訂 2007.11.10