解離性障害(転換性障害を含む)

この文書では、『キン肉マン』シリーズに描かれる、転換性障害を含む解離性障害を解説します。解離性障害は記憶喪失や多重人格として知られる症状を含みます。さまざまな「おはなし」に登場することの多い心の病です。

最初に「解離」の定義を紹介しますが、よくわからない場合は、読み飛ばしてくださって構いません。

岡野(憲一郎)によれば,解離とは,「私たちが物事を体験する時,その体験はいくつかの側面を含む.それらは過去に起きたことの記憶との照合,その体験をもっている自分のアイデンティティの感覚,その時感じている身体感覚,視覚,聴覚などの感覚的な情報,そして自分の体の運動をコントロールしているという感覚などである.解離状態では,体験のもつそれらの側面が統合を失い,その一部が意識化されなかったり,失われたりしている状態である」と定義している.『解離性障害

キン肉マンの「火事場のクソ力」

それでは、初代キン肉マンが初めて火事場のクソ力を発揮した場面から、引用しましょう。

解説者「しかしタザハマさん、キン肉マンは、いつ大技のメキシカン・ローリング・クラッチホールドをマスターしたんでしょうねえ」
ラーメンマン「キン肉マンはなにもマスターしてませんよ。あれはかれの体がかってにうごいたんですよ」
解説者「んなバカな…」
ラーメンマン「火事場のクソ力というやつですよ…」
ラーメンマン『すでにロビン・マスクのバックブリーカーで、戦意を喪失していたキン肉マンに、自己防衛本能がはたらいたんだよ…』
ラーメンマン『やらなければ自分がやられる…。戦う超人にとってもっとも大切な野生の本能というやつなんだ…』
解説者「するとキン肉マンは自分のフィニッシュホールドを」
ラーメンマン「当然おぼえとらんでしょうな……」
キン肉マン「れ? わたしはどうやって勝ったんじゃ?」(『キン肉マン (2)』文庫版)

このキン肉マンの火事場のクソ力は、精神医学的には「解離的自動症」かそれに近いものとされるでしょう。

火事場のクソ力というのはキン肉マンの世界では特殊な意味を持ちます。ですが、日常で火事場の馬鹿力とかいわれるのは、危機的な状態で人が解離状態に陥ることにより、発揮される力のことです。家が火事になり、タンスや金庫などの重いモノを、気がついたら持ち出していたような場合に使います。

「解離的自動症」とは、意識的思考によって統御されない自動的行動が一定期間続くことである。(中略) 解離性自動症的行動が生命を救うことがある。生命的危機の状況で、ある一人が招命されて自身の生き残りあるいは他者の救助のための英雄的行為を行うことがある。航空機事故あるいはビル炎上のような死のあぎとからの脱出には、しばしば解離的自動化が起こっている。このような挿話は山ほどあるが、もちろん、この種の行動の体系的研究は至難である。事件直後にその状況でのその人の思考と行動とを尋ねると、強烈な自動化された反応を引き出した圧倒的外傷的事件の後では事件も行動もほとんど思い出せないのが臨床的にはっきりしている。『解離―若年期における病理と治療

上に引用した『キン肉マン』の記述は、解離現象の記述として正確です。生命の危機の際に、消し去られる恐怖と、成し遂げられる英雄的行為の話です。ですが、現実には火事場などの危機的状況において、恐怖を忘れて、他の人を助けるのに尽力した名もない英雄が、重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)によって、事件後、職を失ったという、悲しい事例もあるのです。それは、恐怖を感じていなかったように見えて、実はとても恐怖を感じていたということなのです。おそらくキン肉マンも、ロビンマスクにタワーブリッジをかけられた瞬間、死の恐怖を感じたのでしょう。

『キン肉マンII世』でも、万太郎が火事場のクソ力を発揮してチェックを倒した後、チェックを倒したことに気付いて驚く場面がありました。この時点では、万太郎の火事場のクソ力も、解離的自動化です。

その後、『キン肉マンII世』の火事場のクソ力チャレンジ編で「火事場のクソ力」は「寛容・無我・友情」の3つの心により発揮されるキン肉王家独自のパワー、とされました。神秘の力としての価値を高めようと後で設定を付加したために、読者にとって実感がわきにくいパワーになった感はいなめません。自分にもあんなパワーが眠っているんじゃないかと想像できるのが、少年達のヒーローの必殺技としての火事場のクソ力の魅力だったと思います。実際、人間誰でも極限状態で解離状態に陥る可能性があるわけですしね。

子供版解離評価表というものがあります。ここには解離的自動症が、「質問16 はっきりとした理由も無く激しい怒りを爆発させることがよくあるが、このような時は普段とは違った強い力を出すこともある。 」という形で記述されています。こういう子供達が暴れた後、その時のことを覚えていないというのは、よくあることのようです。生命の危機というレベルではなく、日常生活で解離的自動症を起こす子供は治療の対象となります。

チェック・メイトの「痛みを感じない」

チェックの痛みを感じないというのは、「解離性症状」です。

ここでは、チェックのように骨折や流血するようなケガ、痕が残る火傷でも痛みを感じないというのは、ありえるのか、ありえるとしたらそれはどうしてかについて語りたいと思います。
それでは、実際の苦痛を感じない人の体験談を引用してみましょう。

[痛覚脱失] 
子供の頃からよく両親に物差しで殴られていました。そのうちに、お仕置きの時に、自分を地球の外、宇宙のかなたにパッと自由に飛ばすことができるようになりました。そうすると痛みをほとんど感じなくてすむのです。お仕置きの時にも私が泣かないので、両親は私をかわいくないと思ったらしく、だんだん虐待の手段がエスカレートしてきました。(中略)私の小さな左手の人差し指と中指の間でモグサがぶすぶす燃え、肉が焼け、煙が上がるのを私はじっと見ていました。今でもその傷が残っています。でもその時は全く痛みを感じませんでした。そしてその時以来、私は急性の痛みに関しては、どんな痛みも感じません。痛みからは自由になりました。(中略)(身体的虐待や性的虐待、痛みを伴う医学的処置などを繰返し受けた子どもでは、このような高度の自己催眠の能力が見られます。このような人々の一部は成人後でも、意識的に、あるいは危機状態でほぼ自動的に、解離状態を作ることができます) 【 解離症状の実例 】

サンシャインの特訓によって確かにチェックは痛さを感じなくなりました。ですがそれは、強い精神ではなくて病んだ精神のなせるわざだったのです。

もともと子供は、成人に比べて催眠感受性(解離能力)が高いのですが、幼児期の外傷体験はこの解離能力をさらに高めます。慢性的に心的外傷にさらされている子供は、「これは自分に起こっている出来事ではない」、「何も起こらなかった」、「痛くない」と自己催眠をかけ、身体的に避けられない苦痛から精神的避難をすることによって事態を乗り切ろうとします。この訓練によって解離能力は高まりますが、一方でこの解離は習慣化し成人期まで持ち越され、DID(解離性同一性障害・多重人格)の基礎になります。子どもの虐待では、どんなに苦痛な仕打ちを受けても、家族や周囲の成人への愛着を断ち切ることができないという構造が解離を促進すると考えられています。【 解離性同一性障害 】

このページ、【 解離症状の実例 】 の経験談にはこのような痛覚脱失の事例がいくつもあります。痛みを感じない人というのは、たくさんこの世にいるものだということがわかりますね。

これは身体的虐待をくり返し受けた人の事例ですが、チェックは被虐待児でしょうか? 

「まず やつ(チェック)の意識から痛い 苦しい つらい などのネガティブな概念を取り去ることから始めた」
「そのため10年間毎日やつの体に考えうる限りの艱難辛苦を与え痛め続けた」
「そうしてチェック・メイトは痛さや苦しみ つらさなどという意識を持たない 完全なる悪魔超人となった」
キン肉マンII世 (3)』152ページより

サンシャインヘッドは自慢そうに語っていますが、児童相談所に通報してもいいくらいの虐待行為ですね。 推定5歳〜15歳の少年に、毎日三角木馬で柔軟体操とか、X字形の磔台に逆さに縛り付けて一本鞭で打ち据えるとかいう様な特訓をすることは、長期に渡る身体的虐待にあたります。
『キン肉マンII世』のアニメのアメリカ放映版(英語に翻訳されただけでなく、内容も修正されています)では、チェック対万太郎戦の終わった後、ミート君がチェックにはファミリーセラピーが必要だと言ったそうです。

アメリカではおおいに流行ったこのFamily Therapyは家族療法と訳されます。チェックだけが病んでいるのではなく、サンシャインとチェックの家族関係が病んでいるから、チェックがああいう問題行動を起こすのだという前提に立っての発言です。日本でも、児童・思春期の解離性障害(転換性障害を含む)の治療の際は、家族療法が行われることが多いようです。参考『解離性障害

アメリカの知的大衆にはチェックメイトというキャラクターは「悪魔崇拝カルトを信じる養父に教義として虐待されて、心的外傷から精神障害になり、暴力を振るう少年」の隠喩として受け取られるような気がしますが、どうなんでしょう? 少なくとも翻訳者というか脚本家はあからさまにそんな感じの扱いをしています。

アメリカ版ではサンシャインは「おおチェックよ、確かにワシはお前を普通の子とは違う風に育てたかもしれん。しかし普通が何だとゆーのだ。今時どんなに普通に育てたって、いずれは精神科医の世話になる羽目になっとるではないか!」とか発言するそうですから。

解離障害があるかどうかを測る解離体験尺度(DES)というものがあります。
解離体験尺度

この解離体験尺度の問19に注目して下さい。
「苦痛を無視できることがありますか?」という項目が存在します。
つまりチェック・メイトの痛覚消失は解離性症状のひとつの典型で、そういう意味では決して珍しくはないのです。

この解離体験尺度の正常人の平均値は10で、統合失調症(精神分裂病)の人の解離体験尺度の値は21辺り、PTSD(心的外傷後ストレス障害)患者は約30で、DID(多重人格・解離性同一性障害)患者は44(資料によっては60辺り)です。この解離尺度の値が一桁だと、こういう方向性においては何も問題はないでしょう。30以上の方は心当たりがあるのなら、精神科医を訪ねてみましょう。
それとこれで出る値はあくまでも自己診断なので、結果を盲信しないで下さい。

今でこそヒステリーというと、一般には女性がキレている様を形容する言葉となりましたが、本来はその治療から精神分析が始まったというような、立派な「心の病気」です。
1895年に発表されたフロイトとブロイアーの共著である『ヒステリー研究』から引用しましょう。
これは雇い主に身分違いの恋をした家庭教師の女性(ルーシー)が、自分が相手に恋をしているということと、相手は自分を愛してはいないということを、何でもないこととして忘れ去ろうとした結果、起きた症状です。

「……彼女は不機嫌と疲労感に悩み、主観的なにおいに苦しめられており、かなり明白な全身的な痛覚喪失を示しながらも、触覚には異常が認められないというヒステリー症状を示していた」
「ヒステリー研究」 (『フロイト著作集』第七巻 人文書院 1974年より)

100年前から心の傷のために、痛覚を喪失してしまう人はいたのです。きっと1000年以上前から、そういう人はいたのでしょう。ルーシーの症状は、彼女が感情の抑圧を自覚し、自分が片思いをしているという現実を受け入れると共に、消え去りました。
現在は精神医学の世界では、ヒステリーという言葉は使わず、『DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』では、転換型のヒステリーは身体表現性障害の中の転換性障害に、解離型のヒステリーは解離性障害の中の解離性健忘等に分類されます。 チェックの「心理的な要因での痛覚の消失」は、『DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』では、「精神疾患の、身体表現性障害の、転換性障害の、感覚性の症状または欠陥を伴うもの」に分類されます。

それから、チェックの言動には単に「痛覚だけが消えている」というだけでなく、「記憶も消えている」のではないかと思える節があります。

サンシャインに特訓された時に感じた感覚が「イタイ」であるということを、万太郎との対戦時に全く忘れているのは不自然です。
これは、ここ数年痛みを感じなかったので、イタイというものがわかりません、とかそういうレベルの問題なのでしょうか。
チェックのネガティブな感覚の欠落はおそらく解離性健忘でしょう。
つまり、辛すぎて思い出せないのです。
幼少期の身体的虐待体験が辛すぎたから、痛みも苦しさも感じなくなったし、それらがどんなものであったかさえ忘れたのです。

注 文中で言及しているアメリカ版アニメの内容については「AUGEN ZU UND HINEIN! ―目を閉じて突っ込め!―」から引用しましたが、該当コンテンツは削除されたようです。

カオスの「忘れられた過去」

カオスのどこかから逃げてきて、記憶もなくしたというのは、解離性遁走でしょう。「ここはどこ? わたしはだれ?」として、小説や漫画によく登場しますが、それほど頻度の多い疾患ではなく、一般人口においてもその有病率はせいぜい0.2パーセント程度だそうです。『DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』では、「精神疾患の、解離性障害の、解離性遁走(とん走)」に分類されます。

解離性遁走とは失踪(場所の移動)+健忘症状として社会一般に認識されている病態である。耐え難いストレスから逸れようと悩み苦しんでいる人は、その状況から逃げ出してすべてを忘れたいと願うが,この願望を文字通り実行したのが解離性遁走である。『解離性障害

解離性遁走の症例はジャネによって、19世紀にすでに記載されています。

上記の『解離性障害』には、仕事と家庭に疲れたと思われるサラリーマンの解離性遁走が、症例として記載されていました。『こころの健康事典』には、こんな症例がありました。

はたして催眠をかけて4回目に、北海道出身であること、石狩川の土手で中年男性に同性愛を要求され、それ以来、記憶を失ったことがわかったのです。『こころの健康事典

解離性遁走の場合に、無理に過去の記憶を思い出させると、患者が人生に絶望して、自殺を図ろうとする場合があるそうです。ですからあえて触れないようにした、がきんちょハウスのシスターの態度も、正しい選択だったのかもしれません。

「この孤児院に やってきた時から ずうっとこうなんです」
「突然 恐怖が フラッシュ・バックと なって襲ってくる…」
「よほど この がきんちょハウスに 入ってくる前に」「忌しい出来事が あったのだと思います」
「だからこのコは それを思い出すのが いやで」「意識的に自分の 過去の記憶を 消し去ったんだと 思うんです…」
キン肉マンII世 究極の超人タッグ編 (3)

ただ、カオスのように推定6歳で解離性遁走というのは、珍しいです。解離性遁走も、事故や予想外の死別などの外傷的出来事に関係した解離性健忘も、ほとんどが中学生以降に見られます。参考『解離性障害

カオスの場合、記憶を失うきっかけが健忘のために、はっきりしないのですが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に当てはまるでしょう。外傷後ストレス障害は、幼児でもなります。


初出2004.7.25 改訂 2007.9.17

Back Index