カプグラ症候群

キン肉マンのタッグ編は、妄想的な不安に満ちています。
この不安は「身近な人が、実はニセモノではないのか?」という不安です。主人公のキン肉マンの、タッグパートナーが実はニセモノだった! というのが、このタッグ編のひとつの山場です。
また、このタッグ編では、「オーバーボディ」というものが、はじめて登場します。

「オレは メインの体(ボディ)の上に オーバー体(ボディ)と いうのを 着ているのだ」
「おわーっ ビッグ・ザ・武道の 体が破れて 中から もうひとつの 体が…!!」
キン肉マン (9)』文庫版

よく知っているはずの人物が、皮を一枚脱いで、見慣れない「何か」である正体を現す。宇宙人が、地球人の仮面をかぶって、生活する。SFではよくあるテーマです。

「つまり おまえが 負けると同時に この地球に1000人いると いわれている 正義超人が ごっそり 地球追放となり 宇宙に散らばる 1000人の弟子たちが 入れかわりに地球に はいってくる!」
(中略)
「実力のない下等超人が 素顔で 宇宙に ほうりだされ-- かわって 能力・実力 ともに すぐれている 完璧超人が ニュー・ウォーズマン ニュー・ロビンマスク ニュー・モンゴルマンとして 地球に 降りてくるのだ!! そして キン肉マン おまえから 狩りとった 覆面は このわしが かぶる予定よーっ」
キン肉マン (12)』文庫版

これに似た場面が、1969年に発行された『犬の学校』という児童向けのSF小説にあります。犬が人間に変身し、人間にすりかわってしまう話です。主人公は犬が友人に化けているのかと思いますが、その証拠はなく、証拠をつかもうとして、主人公は罠にかけられ、宇宙へ放り出されてしまいます。この小説の風変わりな所は、犬にすり変わられてしまった人間が、殺されるのではなく、「宇宙に捨てられる」という点です。主人公は生きたまま、宇宙を漂います。多くの「侵略者がすり変わる」タイプの小説では、ここは「殺される」や「食われる」が多いでしょう。『犬の学校』のくわしいあらすじはこちらの書評サイトで。よくあるテーマですが、発行年代から考えて、ゆで先生が『犬の学校』を読んだ可能性は、あり得ると思います。

この「人間のニセモノ」というテーマを、熱心に追求したSF作家が、フィリップ・K・ディックです。『20世紀SF〈2〉1950年代―初めの終わり』には「父さんもどき」という、短編が収録されています。これは宇宙から来た虫のような生物が、不気味なニセモノの人間を作って、それを操り、人とそれを入れ替えるという話です。主人公は、八歳の少年です。主人公が、父親に違和感を感じる場面を引用しましょう。

その表情はすぐに消えてしまったが、そのわずかな一瞬、テッド・ウォルトンの顔はまるで見慣れないものに変貌した。なにか異質で冷たいものが、ちらりと顔をのぞかせた。ねじくれた、のたうつかたまり。瞳が濁り、奧のほうへと後退して、その表面に謎めいた光沢が膜のように広がった。疲れた中年の父親のあたりまえの外見が消え去った。

これとよく似た話を実際の症例から紹介しましょう。

離人症の人が、家族がインヴェーダーになっている夢を見たことについて考察してきたが、家族がインヴェーダーであると実際に「確信」する人があればどうなるであろうか。モスコーウィッツというアメリカの心理療法家が、そのような例を紹介している。デーヴィッドは十二歳の少年であるが、彼の両親がインヴェーダーに変わってしまったと確信する。それがほんとうの親かインヴェーダーか見分けることは彼だけしかできない。そこで、彼は自分の親族をインヴェーダーから守ろうとして必死になる。両親や弟の少しの表情や行動の変化に対して、デーヴィッドは鋭敏に反応する。
(中略)
治療者とデーヴィッドがこうして親密な関係をつくりあげていったとき、デーヴィッドは「僕はお父さんやお母さんが僕をやっつけようとしていると思っていた。お父さんもお母さんも弟のほうが好きなんだ。僕のほんとうのお父さんやお母さんがそんなことするなんて信じられなかった」と治療者に語る。
(中略)
モスコーウィッツは、デーヴィッドの症例に、「近代的なドレスをまとったカプグラ症状」という題名を付している。
『影の現象学』河合隼雄


カプグラ症候群(カプグラ症状群、カプグラ妄想、カプグラ錯覚などとも書かれる)は、1923年にカプグラが最初に発表したので、こう呼ばれています。

これは「身近な人に何らかの違和感を感じ、相手が替え玉だと確信する」という、症状のことです。より詳しくは、カプグラ症候群を。精神医学的には、妄想の一種で、統合失調症などで見られることが多いです。

現実世界で二十歳位の男性が「友人達が自分に冷たいのは、悪魔に心を操られているからだ。父親だけは信用できると思っていたが、別人が仮面をかぶっていてなりすましていたのだ。しかももうじき宇宙人が空から降りてきて、自分や友人達と入れ替わるのだ」とか主張していたら、統合失調症の妄想型か、妄想性人格障害が疑われる事例でしょう。あるいはどっかに頭をぶつけたとか。

しかし、この『キン肉マン』というまんがでは、主人公の友人達は「ほんとうに」悪魔に操られているし、宇宙人は「ほんとうに」主人公と入れ替わる気なのです。誰もかれも主人公を裏切り、騙そうとしているのが、このタッグ編です。陰謀に満ちた世界と、疑い深いキン肉マンの言動は連動しています。この世界では、キン肉マンは正常なのです。むしろ、世界が異常です。

そして、スグルはそういう不安を、少しずつ乗り越えていくのです。友人達に去られたキン肉マンの前には、父親代わりの存在とも言えるカメハメがあらわれ、援助してくれます。キン肉マンはカメハメを信用しますが、カメハメは死に、中身は別人にすり変わっていました。そこから、テリーマンは信用できる! と、友情を確信し、協力して、悪魔超人も倒し、宇宙から来た完璧超人も追い返してしまいます。

「相手がニセモノだと確信」するというレベルまでいけば、「症状」です。ですが、「これまでと違う」とか「期待と違う」という、こういった両親等に対する違和感は、成長する過程で、多くの少年が持つものでしょう。自分が反抗期にさしかかったがゆえの、親や友人との関係の変化もあります。「大人の付き合い」や「社交辞令」に対する戸惑いもあるでしょう。そういった青少年の不安と成長を描いたのが、このタッグ編じゃないでしょうか。


初出2007.12.23 改訂2007.12.23

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