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「ええと……“唯”さん、だったわね? じゃあ、全裸になって」

 いきなりそう言われ、久遠“玲子”は固まってしまった。
 ぜ、全裸ですって?……偽名を使用している女は、その凛々しい細眉を歪めた。怪訝そうに相手を見やると、

「入所検査よ。グズグズしないでさっさとやって……女同士なんだから、別に構わないでしょ」

「……ええと、すみませんが」

 玲子は前髪をかきあげるフリをして、間を取った。薄い唇を軽く噛み、瞳の表情を殺して沈黙する――考えるため、だ。この場合、どのような反応を見せれば、もっとも“らしい”だろう?
 かなり妙な問いであるが……彼女はそんな、ねじくれた考えを用意しなければならない境遇にいた。今の彼女は、

「久遠玲子・女・23歳」

 ではなく、

「浅田唯・女・27歳」

 だからである。降りかかった事態に対し、彼女は別の人格で対処しなければならないのだ。

(確か、偽背景[カバーストーリー]だと……)

 唯のフリをした玲子は、脳裏で忙しくシミュレーションする。

【久遠玲子→Cover name No.808:浅田唯】--------------------------
 生育環境:中流/公立教育/中道保守/女性型
 社会的ペルソナ:学者(生物学)
         国立T大学稲葉研究室
            ↓
         同大学バイオセンター稲葉ラボ助手
            ↓
         本目的地へ出向
 私的ペルソナ:防衛庁情報本部型人格目録J−13、閾値プラマイ1
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 要約すると、

「典型的な女学者タイプで、内向的かつ思弁的」

 という設定である。とすれば……このような要求に対しては、できるだけ渋っておいたほうが“らしい”。
 答えを弾き出すと、玲子はモジモジと手を組んだ。切れ長の目をどことなく伏し目がちにして、極めて居心地の悪そうな表情を浮かべる。
 検査官役の女は、「ふうッ」とため息をついた。頭をかきつつ、玲子をジト目でにらみつけてくる。

「……唯さん、あなたって、大学のラボ一筋だったんだっけ?」

「ええ、そうです」

「じゃあ、仕方がないのかもしれないけど……いい? ココはね、民間の研究施設なのよ。アカデミックな大学と違ってね、お財布のヒモが厳し〜いうえにっ、競争が激し〜いところなの。わかる?」

「え、ええ」

「どれくらい激しいかって言うとね……たとえば産業スパイとか、他にも産業スパイとか、さらには産業スパイとか、やっぱり産業スパイとか、ダメ押しに産業スパイとか、そういうのが現実に横行しちゃう世界なのよ。わかる?」

「……なんとなく」

「しかもココはね、〈火星アミノ酸〉研究における世界最先端[トップ]を走っているラボなの。だからね、たとえば産業スパイとか、他にも産……」

「わ、分かりました、分かりました」

 玲子は女の饒舌を止めて、従う素振りを見せた。ここら辺りが潮時だろう、と判断してのコトである。

「……分かってくれた? 別にね、あなたを疑っているって……まあ、ぶっちゃけた話そうなんだけど。誤解しないでね、性悪説でやってかないと泣きを見るギョーカイなのよ。
 脱いだモノは、全て寄越してね……もちろん下着もよ。検査したらすぐに返すから。それから、持ち物もチェックするからね」

 テキパキ続けながら、女は玲子の前にどっかと腰を降ろした。サマーセーターを脱ぎ始めていた新入り[ルーキー]の脱衣姿を、じっと凝視する。

「あの、その……そんなに見つめないで欲しいんですが」

「さっきの説明を繰り返しましょうか?」

「……いえ、分かりました」

 玲子は軽くうなだれて見せた――もちろん演技で、である。
 どれほど徹底した身体検査も、彼女は苦にしなかった。玲子は、外から武器を持ち込んだりしない。必要なのは、鍛えぬいた己の肉体だけ。
 モスグリーンのセーターをゆっくりと脱ぐ。柔肌をさらして、フルカップのブラジャー姿になったとき、女検査官が感嘆したような声を上げた。

「うっわあ……まさに『爆乳』ねえ」

 玲子はとっさに、「爆ぜている」と称されたモノを両手で隠した――今度の反応は、半分演技の半分本気だった。

「別に恥ずかしがらないでもいいじゃないの、褒めてんだから。サイズはどれくらいなの?……あ、待って、当てて見せるわ。あたし、こう見えても目測には自信があるのよ」

 この女は一体、何のチェックをしているんだろう?……玲子はそう思ったが、もちろん、口に出したりはしなかった。

「んー、アンダー67.5の、トップ90ジャスト。カップはFと見た!……違う?」

 当たりである。下着で締めつけているから、見た目だけでは分からないハズなのだが……ヘンな才能の持ち主らしい。

「はあ〜、Fカップかぁ……それでいて、胸板周りは華奢なのねえ……腰のあたりも、キュッとくびれてるし……」

 これも事実だ。仕事上、毎日のエクササイズを欠かしたコトのない玲子の女体に、ムダな脂は一切ついていなかった。
 ぴったり八頭身の体型・砂時計のような肉の配分、そしてスラリと長い手足――首から上の「大和撫子部分」以外は、彼女はまるっきり外国人サイズなのである。実際、今着けているブラジャーもフランス製《リエン》のモノだ。

「それに、単に大きいだけの胸じゃないし……まるで、釣り鐘みたいね。ホント、ウソみたいに完璧な紡錘形……もしかして、骨とか入ってるんじゃない?」

「そんなもの、入っていません!」

「たとえよ、たとえ……あらあら、紅くなっちゃって……そういえば、けっこう色白なのね。餅肌グラマー美人か……うーん、ジェーン=マンスフィールドか、はたまたマリリン=モンローか、って感じよね」

 この女、いつの時代の人間なのだろう? いや、それよりも……このオヤジ臭さは何なのだろう? 

「あたし、ココに来る全女性の身体検査を任されてるのよ。だから、色々と鑑賞できちゃうんだけどさ……そうするとねえ、なんだか、目が欲望的に働き始めちゃうのよねえ……ああ、別に心配しないで。あたし、レズの気はないから。それとも……」

 溜めを挟んで、

「……あったほうが良かった?」

「良くありませんッ!」

 憤然とした調子で言って、玲子はパンプスと無地の白ソックスを脱いだ。ややためらってから、臙脂色のタイトスカートをそっと下ろす。

「ほえ〜、ババロアみたいなお尻ねえ……唯さん、あなた、『イエローキャブ』の関係者から、スカウトされたりしなかった?」

 そう言いながら、検査官がため息に似た声を漏らした。玲子の女体がどれほど奇跡的なものであるのか、同性として痛いくらいに分かっているのだろう。

「どうすれば、そんな反則じみた『セクシー=ダイナマイツ』になれるのよ……? 胸部のふくらみから腰のくびれ、腰のくびれから臀部のふくらみ……改造人間みたいに『ボン・キュッ・ボン』じゃない……まるで、横倒しのフタコブラクダを見てるみたいだわ」

 ここまで言われると――「人格設定[キャラクタライズ]」からして、黙っているワケにはいかないだろう。玲子は軽く抗議する。
 女検査官は、あいまいな笑顔で応えただけだった。眼鏡の奥の剃刀めいた目に、どこか揶揄するような光をたたえつつ、「褒めてるのよ」と繰り返してくる。
 玲子はため息をついて、しばし動作を止めた。下着[ファンデーション]類も脱がなければならないのだが……。

「どうしたの? そのペパーミントな邪魔物さんも、さっさと脱いじゃって」

 と、女検査官。言葉の裏に舌なめずりが隠れていそうな口調である。
 もしかしてこの人……ホントに“レズな人”なのではなかろうか? コワい考えが一瞬、玲子の頭を過った。
 とはいえ、他に選択肢があるワケでもない。彼女は妄想を振り払うと、ブラのホックを外した。包み込んでいる肉塊の、その常軌を逸した「たわわさ」に合わせた、後ろ2列ホック。
 緑色の拘束具を脱いだとたん、「母性の貯水池」が弾け出る。量感にあふれた双つの釣り鐘は、しばらくの間、上下左右に揺れていた。「ぷるん、ぷるん」ではなく、「のしん、のしん」というSE[サウンドエフェクト]が聞こえてきそうな登場。
 その光景に対し、女検査官がまた、感想を漏らしてくる。

「ブラで矯正してたワケじゃないのねえ……むしろ、抑えつけていたんだあ……」

 確かに、その通りだった。玲子はいつも、乳肉に食い込むくらい――最適サイズよりもやや小さめ――の、フルストレッチカットを使用している。勝手に揺れたりされると、アクションのジャマになるからだ。
 その隠し枷を外された双丘は、今や、解放を喜んでいるかのように前方へと花開いていた。少しも垂れることなく紡錘を保っている様は、まるで「柔肉の円屋根」。
 尖端にある乳首たちも、誇らしげに己を主張している。それぞれ違った方向を向き、独立心旺盛なところを示している鴇色の肉芽は、互いの距離――つまり、乳果のボリューム――を、優しく示していた。

「うっわー……乳輪といい乳首といい、全てが完璧なくらい『エロい』じゃないの! まさに男狂わせの『魔乳』だわねえ……」

 スゴい言語感覚である。ここまで言われると、褒められているのか貶されているのか、判断に迷ってしまう。
 彼女は、検査官に背を向けてゴブパンツを脱いだ。タイトスカートという外装に合わせて選んだ、お気に入りのガードル=ショーツ。最後の布地をカゴに入れ、右手で股間・左手で胸を隠しながら、さも恥ずかしそうに立ちつくす。

「……唯さん、気持ちは分かるんだけどね、こっちを向いて頂戴。あたしだって、あなたをイジメたくって……」

 不自然な沈黙。

「……別に、イジメたくってやってるわけじゃないの……建前上は」

「え?」

「何よ、そのジト目は? いい、ココは民間なの、ビ・ジ・ネ・スやってるの! ココはねぇ、たとえば産業スパイとか、他にも産業スパ……」

「……わ、分かりました」

 相手の饒舌を遮るように、そう応じた。
かすかに震えた応え。染められた頬。玲子がそのとき身にまとっていたのは、鼻につかない程度の恥じらいぶりであった――それはつまり、彼女の「地」に近かったからである。
 玲子はもちろん、ウブな生娘などではない。普通の成人女性なみに、それなりの場数を踏んできているし、また、その職業的な必要に駆られて、己の裸身を用いたこともあった。
 とはいうものの……どちらかというと「暴事畑[アタック]」を歩んできた彼女にとって、「色事畑[ファック]」はまだ、克服しきれてはいない分野だった。

「分かってくれてありがと……いやあ、唯さんって、ホントにキレイよねえ……あら、けっこう薄いんだ」

 「何が」とは、尋ねるまでもなく恥毛のコトである。

「魅惑的な太腿ねえ……同性のあたしまで、なんだかヘンな気分になっちゃいそ」

(……ちょっと! そんな気にならないでよッ)

 玲子の内心を知ってか知らずか、女検査官が近づいてくる。彼女の瞳に、どことなく危ないモノを見取った玲子は、ゴクリと唾を飲んで身構えた。

「唯さん、あなた当然……『した』ことあるわよね?」

「……それは、答えなければならない質問ですか?」

「いえ、別にいいんだけどね……」

 検査官は首をすくめて見せる。

「どっちでも変わんないんだけど、経験済みのほうが……」

「……どういうことですか?」

「以前ね、ココのデータが流出しかけたコトがあったのよ。そのとき、マイクロチップの隠し場所として使われたのが……女性のタンポンだったの……あたしの言わんとしているコトを、推察してくれた?」

「……そこまでしなければならないんですか?」

 女検査官は頷いてから、

「その代わり、研究室内ではモニター類を作動させないわ。どこであろうと、プライバシーを完全に保護してる。
 さて、ここで選択よ……『緩やかだけど、何処で撮られているか分からない』という状態と、『厳しいけどこの部分だけ』と決められている状態と……どっちのほうが精神的にラクかしら?」

「…………」

 玲子は黙ってうなずいて、女検査官の触診に任せた。元より、潜入工作員[エージェント]である彼女には、向こうから提示された条件について否を言う権利など、ない。

「はい、問題なし……うーん、かなりの名器だわ」

「…………!」

「冗談よ、冗談」

 と言いながらも、検査官は「けっこう敏感そうねえ……」などとつぶやいている。

玲子は、ため息をついた。


   *


 身体検査が終わると、ガウンを渡された。服装並びに持ち物のチェックが終わるまで着ていろ、ということらしい。
 アイレストブルーの夜服を手早く着込むと――女検査官の目付きが実に妖しかったのだ――、玲子は手近にあったイスに座り、今件の任務を思い返していた。

 玲子は、《防衛庁統合幕僚会議情報本部》に雇われているストリンガーである。彼女が今回受けた仕事は、《神楽生物研究所》の潜入捜査であった。
 実は最近、この研究所の関係者(特に女性)が、立て続けに「退職」・「休職」を申請していたのである。
 どれもそれなりの立場に居た職員たちであり、勤務実績・態度ともに申し分なかった。さらに全員、健康体であった(一部の女性に「乳腺肥大」が見られたが、症状と呼ぶほどではなかった)。
 つまり……「辞職の連鎖」を理由づける、説得力あるストーリーがなかったのである。
 大きな声で話すことではないが、《神生研》と自衛隊は「特殊なお付き合い」をしている。有り体に言えば、生物兵器の開発をもくろんでいるのだ。
 企んでいる者にとっては、共犯者の些細な変化も「喉に刺さった骨」に思えてしまうものである。揣摩臆測が乱れ飛ぶようになった結果、優秀なストリンガー・玲子が派遣されることになったのであった。

「……はい、終わったわよ」

 所持品が返ってきた。玲子は無言のままそれらを受け取り、そそくさと着直す。

「唯さんて、エアロビクスやるの?」

 来たわね……玲子は心のなかで唇をなめた。質問の意図を感じ取ったからだ。

「ええ、そうなんです。研究室内には運動場もあるって聞いたものですから……ダメだったんでしょうか?」

「別にいいわよ……まあ、強いて問題があるとすれば」

 何だ?……玲子は、これも心のなかで眉をひそめた。例の品は特注品だ。引っ掛かるようなところなんか、何も無いハズだけど。

「あなたのレオタード姿はオトコどもの情操によくない、ってコトかしらね」

 ほっ、と胸を撫でおろす。気づかれてはいないらしい。

「何せ、ココのオトコどもといったら……そりゃあもう、女に餓えてるから。しかも、玲子さんたらセクシー=ダイナマイツだしさ……」

 検査官が「レオタード」と思ったものは、実は、玲子の「仕事服」だった。外見からは分からないが、それはステルス性と防御性を兼ね備えた、特殊戦闘着だったのである。
 「相手に怪しまれずに持ち込めるもの」という限定のため、銃火器などの前ではもちろん無力であるが……今回のような密閉型の潜入地で着用するには、充分通用する逸品であった。
 というのも、密閉空間――出入り口で武器類が厳重にチェックされる空間は、逆に言えば、内部の武装が貧弱であることを意味しているからだ。ハイジャック犯が大がかりな武装をしなくても機内を制圧できるのと、同じ論理である。
 玲子は、今晩の自分を思い浮かべた――黒色のレオタードが太腿から肩口までを包んでいる。足はブーツ、手は実験用で使うゴム手袋(?)。その手袋越しに持つ武器は、さて、何にしようか……?

「じゃあ、所内を軽く案内するわ……その前に、と」

 黙考していた彼女に、検査官が言ってきた。

「あたしは矢吹[やぶき]。矢吹摩耶[まや]。よろしくね」

「……こちらこそ」

 思考を現実に戻す。曖昧な笑みを浮かべつつ、玲子は手を差し伸べてきた女に探りを入れていた。三白眼気味の目をした、20代後半の女科学者・矢吹摩耶――〈蛔虫シリーズ〉の生みの親である。
 〈火星アミノ酸〉を地球上に再臨させた功労者にして、

 今回の最重要参考人。

 というのも……退職・休職者を多数出している部局・〈曲形動物科[カンプトゾア]〉のトップが、誰あろう彼女なのである。
 玲子は気取られぬ範囲で、この女サイエンティストを観察しておいた。


   *


「……これが、あたしたちの研究対象よ」

 研究室の一角に備え付けられた水槽を指し、摩耶がどことなく誇らしげに言った。

「うわあ……」

 玲子の反応は、感嘆とも、驚嘆とも、そして嫌悪とも取れるものだった――彼女の本心は、一番後のヤツである。

「……〈Pedicellinidae〉の〈Barensia〉属ですね」

 玲子は、事前にたたき込んでおいた知識を披露した。

「より詳しく言うと、〈Pseudopedicellina〉の変種ね。あたしたちは〈ペド〉と呼んでるわ……凄いでしょ?」

 確かに、凄い生き物だった――グロテスクさという点において、である。
 クトゥルー神話に登場する「水棲悪魔」とでも言えばいいのだろうか? それとも、「奇形化を極めたイソギンチャク」とでも言おうか? あるいは単純に、「触手怪獣」とでも断言してしまおうか……?

「まさに奇跡よねえ……曲形動物ってのは普通、体長数ミリ程度――少なくとも1センチ以下にしかならないものなのよ。でも、コイツは唯さんのオッパイくらい……そんなに睨まなくてもいいじゃない……もとい、メロンくらいはあるもの」

 浅瀬の海底そっくりに作られた水槽のなかで、その「奇跡君」はユラユラと揺れている。

「コイツは付着生物だから、基盤にイソギンチャクを置いといたんだけど……もう、完全に取り込んでるわ。走根を縦横に巡らせて、基体の全神経系を則っている」

 摩耶が指し示した先には、腐肉色の肉筒があった。黒斑模様を浮かばせたその塊は、細い肉綱に巻きつかれている。まるでボンレスハムだ。
 察するに、その細綱を「走根[ストロン]」というらしい。イソギンチャクと同色をしたそれは、根というよりは蔦のように見えた。所々に棘が生えていて、「有機体で作った有刺鉄線」といった感じである。
 玲子の一夜漬けが正しければ――走根から伸びているのが、柄[ストーク]と呼ばれる部分のハズだ。そこには、棘というほど鋭くない「突起」が並んでいた。下部の腐肉色と違い、柄は鮮やかな紅色をしている。なんとなく、人間の動脈を見ているようだ。
 そして、その上にあるのが……

「ほら、今ちょっと縮んだでしょ? あれが萼[カリクス]、日本語で言うと『ガク』よ。あたしたちは『触手ハンド』って呼んでるけど」

 柄の上に膨らんでいる、腐肉色の花――それが、萼と呼ばれている器官らしい。

(……しょ、『触手ハンド』ぉ?)

 玲子は動揺を隠しつつ、摩耶に向かって頷いて見せた。
 逆さにした釣り鐘状の先端。その縁には、12本の触手が円陣をなしている。学術上は「触手冠[ロフォフォーア]」という名称がつけられているハズだが、見ようによっては確かに、「指が多すぎる手」に見えなくもない。

「……あの触手と萼の内側にはね、無数の繊毛が生えているの。それにね、触手の間には『みずかき』みたいな触手間膜[インターテンタクラ・メンブレイン]があるのよ。それらを使って、水流をコントロールしているのね」

 なるほど……ますますグロいヤツである。

「触手の内側には縦走筋。触手間膜には括約筋。そして萼部には環状筋。コイツ、実はかなりの運動能力を持っているのよ。だから、コイツの触手は何かをつかむことができるの。触手間膜はそれを圧迫できるし、萼はそれを飲みこむことができる……」

 妙に弾んだ口調。

「……つまりね、萼は人間の手と口が一緒になってる部分なのよ。エサを取っ捕まえて、そのまま飲み込んじゃうというワケ……うふふふ」

「…………」

「うふふ、そう……パクッ、とね……うふふふ……」

「…………」

 なんだろう?……その説明に、玲子は本能的な悪寒を覚えていた。目前で揺れている肉の釣り鐘が、途方もない悪魔に見えてくる。

「……で、何を捕食するんです?」

 ツバを飲み下して尋ねた玲子に、摩耶は意味深な笑みを浮かべて答えた。

「“美味しいお肉”よ……」

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