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 〜軍天使ライラ・瞬間接着剤の章

第8章

1.

 中央の闘技場の頭上、巨大な画面に、大写しで失禁し、震える、哀れな天使。

 純白の水着の股間に濡れた染みをくっきりと浮かび上がらせ、今尚、勢い良く放尿を続ける美貌の天使を、会場中の観客が、息を呑んで、静かに見つめる。

 文字通り水を打ったように静まり返る会場に、ただ、天使の鼻にかかった啜り泣きだけが、小さく響き渡る。

 倒錯的なエロティシズムと、衆目の前で晒し者となった天使の痛々しさがつくる、薄氷のような張り詰めたバランスを、一人の男が、拍手で打ち破った。

 緩いテンポの、明らかに賞賛よりも嘲笑を含んだ、それでいて力強い響きが、会場中に響き渡った。

「はっはっは。たいした見世物だな。天使の、それも、闘技大会で、男と戦おうって、男勝りなお姫様の、おもらしか、こりゃ、めったに見られない良い見世物だ!」

 心底嬉しそうに、そのくせ、唾棄するかの侮蔑をふくんで、くたびれた身なりの、ならず者風の男が、その場に轟く大音声で、笑い声を上げる。語るまでもあるまい。先日、彼女にものの見事に打ちのめされたはずの、あの愚連隊集団の頭目である。

「なッ」

 そのあざけりに、当の天使よりもむしろ、その親友の黒の女騎士が、怒りに顔を赤く染める。

 蛇腹の剣を構え、怒りに任せてその男に飛び掛かろうと、彼女が足を踏み出した瞬間、会場中から、嘲笑と怒声と、侮蔑の言葉が口々に、声ではなく、半ば物質的な波と化して、四方から天使を、もみくちゃにしはじめた。無論、一つ一つの言葉の意味などは聞き分けられようはずもない。いわんや、ショックと、恥辱と、失禁の開放感と、それでいてまったく収まらぬ尿意にかき混ぜられ、ぐちゃぐちゃにされたライラの脳に、その言葉一つ一つの聞き分けなど、望むべくあろうはずもない。それでも、決して豪胆でも厚顔でもない彼女の繊細な心は、そのあざけりと蔑みだけは、痛いほどに感じ取っていた。

 それでも、膀胱と尿道の焼け付くような痛みに、排尿を堪える事はできず、排尿の開放感と、痛痒いような残尿感を同時に味合わされ、全身の穴という穴から、体液の溢れ出す異常な感覚に、ただただ身じろぎ一つできずに、その嘲笑に、堪え忍ぶしかなかった。

 ぱくぱくと震える口元からは、だらしなく唾液が滴り落ち、目から溢れだす涙は、恥辱や羞恥によるものよりも先に、まず神経系のパニックによるものであった。全身の汗腺からは汗が滝のように染み出し、心臓が脈打つのと同じペースで、緩急をつける小水の噴き出す尿道のすぐ下、純潔の印に護られた膣口からすらも、じっとりと、静かに、体液が染み出しつつあった。

 純白の大きな翼が、まるで己が身体を抱きしめるかのように、力なく、垂れ下がる。騎乗位の格好でまたがった、対戦相手であり、友人以上、恋人未満の、微妙な関係にあったその若者の、細身ながらしなやかな腹筋や胸筋に鎧われた上半身が、彼女自身の体液と、尿にまみれて、てらてらと輝いていた。彼自身もまた、状況についていけず、身動き一つ取れずに、呆然と天使のシャワーを浴びせ掛けられ続けていた。

 頭が、がんがんする。
 目が、ぐるぐるまわる。
 気持ち悪い、吐きそうだ。

 顔を、耳まで真っ赤に染めたライラが、ぐつぐつと煮え立つ脳で、必死に状況を取り繕おうと考える。だが、何も言い考えが浮ばない。まとまらない。

 おしっこ、とまらない。
 お腹が熱い。熱い、焼ける。
 ぼうこうが、裏返りそうだ。
 きゅうぅ。

「はぁ、はぁ」

 犬のように舌を突き出し、白目を剥いて、涙と涎を滴らせながら、天使が、今にも死にそうな喘ぎを漏らす。
 じっとりというよりは、むしろ、全身ぐっしょりと濡れた天使の白い水着が、その秘められた裸身をうっすらと透かし、浮かび上がらせ、豊満な乳房の先端の、桃色の突起や、濡れた股間のディテールを浮かび上がり、頭上の画面に大写しになる。

 驚くほどの大量の小水を出し尽くし、ようやく、勢いの弱まってきた天使の尿が、次第に、微妙に赤みを帯び、今度は、血尿と化して、滴り落ちはじめる。白い水着の股間を真っ赤に染め、その視覚的な恐怖に、天使が口元を震わせ、歯の根をかちかちとならせ、小刻みに体を震わせる。無論、剣士としても一流の腕を持つ彼女の事、仮にこれが敵に切り付けられた手足からの出血であれば、たかだか血くらいでここまで脅え、震える事もなかっただろう。否、腹や膣からの出血でも、ここまでは脅えなかったはずだ。問題は、それが、尿道口からの出血であった事。散々苦しみ抜いた尿意の末の、失禁。その失禁が引き金となった、想像だにしなかった個所からの、経験したこともなかった出血。それが、彼女を恐怖に陥れたのであった。

「あぅ、あわわ、あヒィッ」

 パニックに、全身を痙攣させながら、天使が意味を成さない悲鳴を上げる。

 あまりにも哀れすぎ、そっと抱きしめ、じっと護ってやりたいほどの、痛々しいほどの天使の狼狽ぶりに、しかし、その足元の若者は、まるで凍り付いたかのように身動きすら取れない。保護欲と同時に、いつもは、文字通り雲の上に住んでいるかの天使の、あまりにも哀れで惨めな姿に、一抹の、倒錯した美しさを感じずにはいられなかったからだ。

 最初に動いたのは、黒衣の女騎士だった。

 恐らくは事の発端に深く関わっているのであろう、女の直感がそう告げる、先ほどの薄汚れた男と、会場中を揺らす、罵倒と嘲笑の声、その二つに板挟みに去れ、身動きの取れなかった女が、軽く首を振って、タオルを掴み、リングに飛び上がる。天使と若者が癒着した件は後回しだ。まずは、ライラを助けてやらねばならない。

 何人かの、興奮した観客が上着を脱ぎ捨て、リングに乱入しようとする。無論彼女には知るべくもない事だが、さらにライラに追い討ちをかけようとする、彼女にのされた傭兵団の連中である。このまま、彼女も、男も身動きできないうちに、天使を、この公衆の面前で凌辱し、嬲り者にしてやろうという、算段だ。

 あれだけの美貌だ。火さえつけてやれば、あとはいくらでも誰かがなんとでもしてくれる。

 次に動いたのは、二人の魔人だった。アキレス腱固めと、左右の同時回し蹴りを互いに放ちあった巨躯の侍と褐色の神父が、互いに絡み合ったまま転倒した身体を引き離し、立ち上がり、向かい合う。完璧に極まったかに見えた関節技と、関節技の間合いで放たれたはずの回し蹴りのダメージが、恐るべき事に、五分同士。軽く背を丸め、ガードを高く構えた神父と、胸を張り、さながら古代の征服者のように、悠然と直立するモンスターの間合いが、焼け付くような緊張とともに詰められる。

 そんなリングに、興奮し、上着を脱ぎ捨てた暴徒がなだれ込む。いや、正確には暴徒を装った扇動者なのだ、どちらであろうと、リング上の、四人には関係のない話だった。

「邪魔をするな!」

 烈堂の拳が唸り、レオンの腕が、首に絡み付く。

 その一瞬で、リングに乱入しようとした男たちが、無力化される。あるいは絞め落とされ、あるいは、頭骨に窪みを穿たれ、胸骨を粉砕される。彼らの誤算は、リング上に天使と若者のほかに、鬼と悪魔がいたことであった。

 彼らの、後に続くものはない。

 当然だ。どれほどの美貌を誇ろうと、どれほど嗜虐心をそそろうと、自分の命をチップに、ギャンブルを張ろうという、強姦屋などいようはずはない。

 後に続くものはいない。邪魔モノの排除を終え、再び互いに向き合うレオンと武蔵。

 他の乱入者の警戒をし、軽く会場を見まわす武蔵。

 その一瞬の隙を見逃さずに、間合いを詰め、ほとんど床面すれすれの低さでタックルをかける神父。だが、彼の技が、全て組んでからのものだという事を知り尽くした武蔵に、わざわざこれに付き合う義理はない。蹴りで迎撃するなり、上から押しつぶすなりして、タックルを切れば良いだけの事だ。

 しかし、動かない。

 己の圧倒的な力、スピードや、技といったものに左右される事のない、絶対のパワーに対する、圧倒的な自負が、男に、迎撃を選択させなかった。悪魔の名を持つレオンの、神業ともいえるテクニックに対してすら、武蔵の自信は、揺らぎはしなかったのであろうか。

 神父の身体が、大地に打ち込まれた杭のような鬼人の足の目前で、不意に消えた。否、さながら弟子の天使のように、神父の身体が宙を舞ったのだ。無論、ライラとは異なり、翼持たぬ彼のこと、決して、飛んだのではない。跳んだのだ。

 眼前の鬼人の如く、規格外の化け物とまでは行かぬまでも、長身のレオンの、鍛えられた肉体は、無論軽量級とは程遠い質量を持っていた。神父の、70kg台半ばに及ぶであろう肉体が、次の瞬間には2m近い侍の巨躯の、首の高さまで、舞い上がっていた。超絶的なこのフェイントに、さしもの武蔵の瞳に、驚嘆と賞賛と、そして、歓喜の光が浮ぶ。

 武蔵の肩をすべるように飛び越え、飛び越えざまに、その太い首に腕を絡み付ける神父。そして、その瞬間に完全にロックを決めると、今度は、全体重を浴びせ掛けて、その首を勢い良く、捻った。

 いや、折ろうとした。

 もし、彼が、神父の最初のタックルに対処しようとして、何らかの動きを見せていれば、その体重移動、崩れた重心を取られ、その後のこの首折り、間違いなく首を持っていかれていたところであろう。

 もし、相手が、この規格外のモンスターでなければ、レオンは間違いなく、事前の崩しなど必要ともせず、この首折りの瞬間の、体重移動だけで容易に、その頚椎骨を脱臼させていた事であろう。

 だが、仕掛けた技は、結果が全てだ。体重と、突進の慣性を乗せた力、巧みに、てこの原理を活かし、首を極めたはずのロック、そして、その双方を殺さぬうちに仕掛けられた首折りの全てを、武蔵の肉体が凌ぎきる。

 折りにかかった頚椎に、ザイルのように絡み付く、太い筋肉の束が、補強材のようにその首を護る。

 それでも、生物である以上、この化け物も、このまま頚動脈を絞め落とせば、倒せる事は倒せるのだろう。

 これが化け物である事を度外視すれば、頚動脈を絞め落とす場合、彼はこれを普通のペースで三呼吸もあれば、確実に為し得る自信があった。武蔵が相手でも、その三倍もあれば絞め落とすことも不可能出はあるまい。問題は、それだけの時間があれば、相手にも何らかの打つ手があるかもしれないという事だ。

 いかに相手が化け物であろうと、彼の極めたロックを、力任せに引き解くのは簡単な行為ではないはずだ。武蔵以外の人間が相手であれば、レオンは間違いなく、この問いに「不可能だ」と即答するだけの自信があった。否、北極熊が相手であろうと、彼は不可能だと言い切ったであろう。例え、脳のリミッターを外し、瞬間的に筋肉がマックスの力を発揮しても、並の筋力の人間に、彼の技を力で振りほどくなどという芸ができるはずはない。無論、テクニックを駆使して振りほどくというのであれば、それはさらに至難の技であろうが。

 それでも、この不破烈堂武蔵という化け物は、常識の通用する相手ではない。とはいえ、今確実にコイツを仕留めるとなると、やはり、絞め技が、一番確実であろう。

 意を決したレオンが、首折りを諦め、今度は絞め落としに技をシフトする。首に絡めた腕をそのままに、相手の背中で身体を反転させ、両足で胴を締める。武蔵の背にしがみ付く形で、肘をさらに奥に押しやり、両腕で、完璧に首を極める。首折りの為のタックルのフェイントから、きっかり3秒で、今度は完璧に首を極めて見せたレオン。対する武蔵の表情からは、驚愕と賞賛の色が消え、期待と歓喜に塗り替えられている。

「おもしろい、面白いぞ。神父よ」

 武蔵の、うめきにも似た、感嘆の声に、レオンは黙って、締め上げる腕に力を込めた。頚動脈ではなく、気管を押しつぶすつもりで咽喉を絞めあげる彼の、頬のあたりを、武蔵の親指が触れる。

 背面からの裸締めに、無論武蔵に神父の姿が見えるはずはない。文字通り手探りで、敵の姿を探す武蔵。

 しかしそのさまは死闘を繰り広げる二人の魔人の姿というよりは、真冬の寒い朝、まるで布団の中から目覚し時計を探す男のように緩慢で、無造作な動きにみえた。

 絞めが、効いているのであろう。

 この体勢からの、この武蔵の腕の動きが意味する攻撃は、恐らくはサミング、すなわち、親指による、目潰しであろう。神父の口元に、悪魔の笑みが浮ぶ。

 いまさら、この体勢で、この状況で、目潰しくらいで、技を解こうものか。

 武蔵の緩慢な指の動きが、ゆっくりと頬から、目へと移行する。

 左目一つと、命と「最強神話」の引き換えなら、安い買い物かもしれないなぁ。

 レオンの口元に浮ぶ、悪魔の笑みが無言で、そう物語る。

 だが、武蔵の指が目の上を素通りし、鼻と、両目をつなぐ三角の中ほどをロックした時、悪魔が、大慌てで首を横に振り、鬼の前腕に歯を突き立て、噛み付いた。

(馬鹿な?! あれは、目潰しなんかじゃない。頭骨の最も脆い弱点を突いて、眼球などではなく、脳髄に直接、指を突き立てるつもりだったのだ!)

 鬼の前腕の肉の一部を食いちぎり、それでも執拗に、弱点を探る指の動きに怯みがないと見るや、レオンは、病むを得ず技を解いて、間合いを取り直した。

(目玉一つと、命なら安い買い物だが、蘇生可能の死と、脳髄では、いささか高くつきすぎだ)

 口の中の、肉片をマットに吐き捨て、神父が血まみれの口に笑みを浮べ、武蔵に視線を向ける。

「ようやっと、その顔を見せてくれたか」

 血まみれの神父の笑みに、武蔵もまた、ぞろりと笑みを返す。どす黒い、瘴気にも似た闘気が二人の間に立ち込め、熱と冷気が入り交じったかのような、熱さとも寒さともつかぬ空気が、あたりを包み込む。

 そんな張り詰めた空気のリングの上、タオルをかけられ、レイスリーネに肩を抱かれたライラが、兜卒天の腰の上で、すすり泣きながら、小さく助けを求める。

「レイスリーネぇ、兜卒天、なんとかしてくれぇ....」

 ぐすぐすとすすり泣きながら、天使が震える唇から、蚊の鳴くような声を漏らす。

「クスン....神父様ぁ、助けてぇ」

 ついに、完全に折れた天使の心が泣き言を漏らす。途端に、悪魔の笑みを浮べていたレオンの表情に、改悛と慟哭の表情が浮ぶ。そうだ、自分が今、なすべき事は、そうではなかったはずだ。

「邪魔をするな!」

 武蔵の拳が、弧を描いて、天使を襲う。だが、それよりも早く、神父の身体がリングを駆ける。天使を、そしてその友人たちを庇うように、その自らの身体を盾に、鬼の拳を止めようとするレオン。

 神父の脇腹に拳がめり込み、その身体がふわりと宙に浮かぶ。

 浮かびながらも、ほとんど反射的にその腕を捕らえ、肘を十字に極めるレオン。

 神父の肋骨が折れ、内臓がいくつか、はじけとぶ。むしろ、この一撃を受けて死ななかった事こそが福音といえよう。だが、武蔵の方も、さすがに無事ではすまない。

 無力化でもなく、破壊でもなく、純粋に、護身、否、自己防衛のためにとっさに繰り出された技には何の躊躇も手加減もなく、烈堂武蔵の鬼人の突きの力を逆に利用して、肘関節と、靭帯とを、瞬時に、同時に、完膚なきまでに破壊していた。

「引き分けにしろ、とはいいません。貴方の勝ちで結構です。ですから、今日の所は、引いていただけませんか」

 武蔵の血と、そして今度は、明らかに彼自身のものと思しい赤い鮮血を口から吐き零し、レオンが、武蔵に訴える。技を外し、それでも、天使とその友人たちを庇うように仁王立ちに立つ神父に、武蔵が、奇妙な笑みを浮べる。

「良いわ。興がさめた」

 言い捨て、武蔵が、客席を眺め回す。途端に野次が止み、再び、かつての静寂を取り戻す会場。
 否。

「おい、人がせっかく楽しんでいた、天使の羞恥失禁ショーの、鑑賞の邪魔しねーでくれよ」

 口元に皮肉な冷笑を浮べ、武蔵の前に立ちふさがる、一人の男。無論、あの頭目の男だ。

「めったに見られる見世物じゃねぇんだよ。無様で滑稽で、間抜けで馬鹿みてぇな、クソ生意気でなさけねぇ、勘違い女が、何百何千って大観衆の真ん前で、ションベンちびってすすり泣くなんてのはよぉ! フツーなら、自殺モンだよな。この大勢の前で、大恥だからよ。....聞いてんのかよ! この女!」

 静まり返った会場に、轟くようにねっとりと、男の声が響き渡る。

「情けねぇよなぁ。清純な天使様で御座居、ってな顔して、男のチンポの上でべったりと張り付いて、膀胱裏返って血尿漏らすまで、だらだらションベンちびってんだから、それに、見ろよ。真っ白い、エロい水着、汗と小便でぐじゅぐじゅにして、乳首透け透けで、でかい乳の先っぽ、びんびんに勃起させてよぉ。その無様な手前の姿に倒錯した悦楽でも感じて、ホントはヨガってんじゃねぇか、このマゾ雌がよぉ!」

 男の罵詈雑言に、黒衣の女騎士が、親友の側に立ち、怒りに顔を赤く染めながら、男に、文句を言う。

「だ、黙りなさい! この下衆が!」
「けっ! この俺様と、その状況でマンコ濡らして汁だらだら垂れ流してる、清純ぶったマゾ天使と、どっちがゲスだってんだよ」

 げらげらと高笑いをしながら、マット上の天使を指差し、女騎士に問う男。

 一旦は、静まり返ったはずの会場が、再びざわつきはじめる。

「な、なんで、なんで、私が、こんな目にあわねばならんのだ....」

 男の断罪に、惨めさにすすり泣きながら天使が呟く。

「そ、そうだ、ライラさんがなんでこんなめにあわんといかんのや!」

 天使の腰の下で、兜卒天もまた、理不尽な男の物言いに憤慨する。

 だが、男は、さもライラの惨状が、当然の帰結であるというように露骨に驚いて見せて、そして、静かに宣言した。

「なぜか、って? 第一に、てめーがいけ好かない糞生意気な雌豚だからだよ。第二に、てめーが敵に回しちゃあいけねえ相手の見極めもできねえ馬鹿女だからで、最後の、最大の理由は、てめーが、自分はみんなから愛されてると思い込んだ勘違い女で、味方と敵の区別もつかない、どうしようもないアホだからだよ! ションベン、辛ぇだろ?」

 悲しげに、肩を震わせ、辛そうに、男の方を見やるライラの視線。その、力を失った視線に、己の勝利感を噛み締め、男は、ついに耐え切らなくなったのか、腹を抱えて笑いはじめた。

「ぎゃはははは! てめーに一服盛ったのは、てめーがトモダチだと思い込んでいた小猫クンさ! バァカ! てめーなんざ、とんまな道化の、オモチャなんだよ!」

 男の言葉に、天使の泣きそうな顔が、一瞬、表情を失い、凍り付く。まさに、信じられぬと言った表情だ、しかし、考えてみれば全ては、小鉄の薬を口にしてからの話だ。トモダチだと思っていたのに、まさか、こんな酷い仕打ちを。

「その脚の癒着だってそうさ。そいつも、あの小猫クンが用意したモンさ....」

 男の、まさかのすっぱ抜きに、小鉄が、脱兎の如くリングサイドを逃げ出す。

 一瞬、逃げる猫少年に反応しかかった黒衣の女騎士が、しかし、今はそれどころではないと、再び男の方を睨み付ける。

「そぉさ! 馬鹿な女だ! てめぇが、トモダチだと思ってた餓鬼どもは....」
「許せない!!!」

 男のあざけりの言葉に、リング側、タキシードの少女が、一気に男との間合いを詰める。

「非道い! 許せない!」

 麗だ。先程武蔵のボールを腹に食らい、完全に意識が飛んでいたはずの少女が、どうにか、立ち上がれるまでに回復したのだろう。まだ、本調子には程遠くありそうではあったが、それでも、怒りにか、目から涙を零し、全速力で間合いを詰める、魔物使いの少女。否、あるいは、単に事の真相が明らかになりそうなこの状況に慌てただけか、悲しいことに、口の端に一抹の不安の色を浮かべ、少女が、音よりも速く駆けんと急ぎ、男の目の前に立つ。

「召喚! 『剣蒼』!!」

 少女の呼びかけとともに、中空に丸い魔法陣が浮かび上がり、そこから、蒼炎の色の髪を持つ、半人半羊の魔物が、姿を現す。丸く曲った羊の角と、4本のガゼルの後足、人の上半身と豊かな二つの乳房をもった、剣を持った、妖魔の美女が。彼女の封印魔軍筆頭にして腹心の懐刀、剣蒼。

 突如姿を現した、本物の魔物に、男の動きが一瞬、凍り付く。当然であろう、豚鬼や食人鬼といった、種族としての魔族ならともかく、彼女のような、一種一族一個体からなる、本物の魔物に出会う事など、熟練の冒険者でも、めったにある事ではない。

「剣蒼! のしちゃえ!」

 麗の命令に、女妖魔が剣を逆手に構え直し、その柄を、男の水月に叩き込む。

 一瞬の早業だ。あるいは、剣技だけならば、軍天使のライラをも凌ぐのやもしれない。
 音も無く、胃の腑を抉られ、男が、呻き、のたうちながら崩れ落ちる。

「ライラ姉ちゃん! 今、お医者呼ぶからね!」

 それでも、天使を思う気持ちは本物なのであろう、ただ、少し、いささか、かなり悪戯が過ぎただけの事、ライラの身を案じ、本気で涙を流しながら、医者を呼ぶ、麗。ただし、決して罪を悔いているわけではなさそうであったが。

「頑張って、ライラ姉ちゃん! お腹痛いのは、お医者さんいくまでの辛抱だからね。接着剤は、三日もすればとれるはずだからね!」

 天使の肩を抱いて、必死にライラを励ます麗。彼女の言葉を横で聞いていたレイスリーネの心に、何かが引っ掛かり、頭の中に「?」マークが点る。

「あれ?」

 小首をかしげるレイスリーネ。

 そして、黒衣の女騎士の唇から、背筋を氷で撫でられるかの優しい声が紡ぎ出される。

「ねぇ? うるはちゃん? 接着剤、ってなぁに? 三日、って数字は、どこから出てきた根拠なのかなぁ?」

 麗の動きが凍り付く。

「あ、あぅぅ....」

 ギシギシと軋むように、首を巡らせる麗。

「この惨状は麗ちゃんの仕業なのね?!」

 怒鳴り、次の瞬間、麗の腰を抱え、宙づりにするレイスリーネ。

 空いた方の手で麗のズボンとパンティを一気にずりおろし、そのままリングの真ん中で、可愛いお尻に幾度となく平手打ちを食らわせる。

「きゃう〜! 剣蒼、助けてぇ〜!!」
「....自業自得です....。麗様」

 慌てて、剣蒼に助けを求める麗。が、剣蒼の反応は冷たかった。

 事件の仕掛人たる巨悪の弾劾が進み、女騎士のお仕置きの続く中、会場の注目は結局、少女のお尻に集中し、ようやく、天使に向けられていた嘲笑と侮蔑の視線は収まったかに見えた。

 頭目の男も床に昏倒し、小鉄は逃亡し、結局は麗がすべてのお仕置きを受ける結果になってる。

 だが、しかし、この公衆の面前でライラが、すすり泣きながらおしっこを漏らした事実が、消えるわけではない。事実、今尚天使の水着の股間は、じくじくと染み出すにおしっこの雫を一滴ずつ、ぽたり、ぽたりと、滴らせている。

 ぐったりと力を失い、若者も胸板に状態を預け、いやいやと首を振るライラ。

 腰から下をすっかりタオルで隠してもらったとはいえ、その下がどうなっているのかは、既に、会場中の人間の知るところだ。

 主催者の麗の指示で、ようやく用意された担架に、若者ごと乗せられた天使が、急ぎ病院へと運び込まれる。付き添いの、女騎士と、彼女に肩を借りながらも、自分の足で病院へと向かう神父。無論麗も逃亡を許されようはずも無く、彼等と共に、病院へと急いだ。

 なし崩し的に閉会された、会場の床に這いつくばらされた男が、周りにだれもいなくなってから、ようやく、よろよろと、立ち上がる。そう、この勝負、決して、彼は負けたわけではなかったのだから。

 彼の目的はあくまで、天使への復讐。そのあとで、自分がどうなろうと、それはもはや、彼の知った事ではなかったのだ。

 一通り、溜飲の下る思いはさせてもらったが、まだまだ、こんなもので澄ますつもりはない。男の暗く萌える目が、無言でそう物語っている。

 そうさ。このままで、終わらせるつもりはない。
 もっともっと、あの天使に恥辱を味あわせて、皆の前で笑い者にしてやる。
 そう決意し、男は、次ぎの行動を取るべく、路地の影の、闇の中に姿を消した。
 天使の道化芝居は、まだ始まったばかりなのだから。


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