漫画の中の悪魔

『キン肉マン』シリーズに登場する悪魔超人を論じる前に、日本の戦後の少年漫画における「悪魔像の流れ」を簡単に解説しておきたいです。その悪魔像は、主に西洋文学から来ています。具体的には「聖書」「神曲」「失楽園」「ファウスト」などからです。

今回は、有名作品ばかり紹介することになりますので、それぞれについて詳しくは語りません。ヤフー辞書ウィキペディア等をご覧下さい。っていうか、お近くの図書館と漫画喫茶にゴー!

キリスト教世界における文学の中の悪魔

「聖書」

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の聖典である「旧約聖書」は、だいたい1世紀にまとまったものとして成立しています。旧約聖書には、ソロモンという古代のユダヤ民族の王が登場します。
旧約聖書の列王記に書かれた、ソロモン王の物語はこういうものです。

ソロモン王は、敬虔だったのでユダヤの神が夢に現れ、何でも願いをかなえてやろうといいました。ソロモンは、聡明さを望み、その望みに満足した神は、ソロモンを並ぶ者のない賢者にしました。 賢者ソロモンはその知恵によって、富と尊敬を集め、豪奢な神殿と宮殿を建てました。彼には700人の王妃としての妻と、300人のそばめがあったと書かれています。合計1000人。彼はユダヤの教義で禁じられていたにもかかわらず、異教徒を多く妻にしました。その妻たちに影響されて、ソロモンは異教の偶像崇拝のための神殿も建て、「アシュタロテ」などの異教の神を拝みました。そして彼の行いは、ユダヤの神の怒りを買いました。

この聖書の記述が「ソロモン王は悪魔を使って、知識と富を得た」という中世の伝説の根拠となるようです。もっとも、ソロモンには、旧約聖書が書かれた時点で数多くの伝説がありました。

ソドムとゴモラや黙示録の話は、天から災いで言及したのでここでは省略します。

ダンテ「神曲」

ダンテの「神曲」は1307〜21年刊です。イタリア文学。

主人公の詩人ダンテは、あるとき死の世界に通じる穴のある山に迷い込みます。彼は同じく詩人であり、死者であるヴァルジリオ(『アエネーイス』の作者)に案内されて地獄などを旅し、現世に帰ってきます。
この地獄編の最後の場面で、主人公のダンテは地獄の最下層のコキュートスで、下半身が氷付けになった巨大な魔王ルキフェルの姿を見ます。

ミルトン「失楽園」

ミルトンの「失楽園」は1667年刊です。イギリス文学。

天使ルシファーは神に反逆して、魔界に追放され、魔王となりました。ルシファーと一緒に天を追放された存在として、何体もの悪魔の名前が列挙されます。彼は神に復讐するため、蛇に化けて楽園のイヴを誘惑します。そして人間は楽園を追放されます。

ゲーテ「ファウスト」

ドイツ文学です。ゲーテの「ファウスト」は第一部は1808年、第二部は32年刊です。しかし、15世紀から16世紀にファウスト伝説というものが、ゲーテの前に存在しました。ファウスト博士が悪魔を呼び出して、好き勝手に生きた後、悪魔に殺されるという伝説です。

「悪魔を召喚して契約し、魂をとられる」という「典型パターン」はこのファウスト伝説で確立したようです。それにゲーテの「ファウスト」では、ファウスト博士は地霊しか呼び出していません。メフィストフェレスはファウストが絶望し、自殺未遂をした後、ファウスト博士を自ら訪ねてきます。民話でも悪魔は向こうからやってくるものです。例えば、困っている若者に「助けてやろう」と声をかけて、何かを約束させるといった話です。悪魔の娘で紹介した話もそうです。
ファウスト博士はメフィストに対抗するために「ソロモンの鍵」という魔法書を見ながら呪文を唱えます。そしてファウスト博士はメフィストに連れられて、魔女のところを訪れ、若返りの薬を飲んで新たな人生を送ります。
ゲーテが「詩人で政治家で学者」という偉大な作家だったからか、彼の「ファウスト」には「科学」と「政治」の話が多いのです。単なるオカルト物語ではありません。

日本の漫画の中の悪魔

手塚治虫「ファウスト」「ネオ・ファウスト」

手塚治虫は、中学生の時に「ファウスト」を読んでいました。参考Tezuka Osamu @World -ファウスト-。手塚先生は、ファウストを三回も漫画化しています。一作目は「ファウスト」1949年発表、二作目は「百物語」1971年、三作目が「ネオ・ファウスト」1988年です。
一作目はメルヒェン、二作目は水木と白土三平を足したような妖怪時代劇です。1967年から1969年に連載された「どろろ」の延長線上にあります。つまり、「百物語」は、水木が「ファウスト」を下敷きにした「悪魔くん」をヒットさせた後の作品です。三作目は学生運動とバイオテクノロジーを絡ませたSFです。
ファウストでは、錬金術師が人造人間(ホムンクルス)を作る場面があります。そのホムンクルスが、ガラス瓶の中で作った学者を「お父さん」と呼びます。それは、手塚作品にしばしば出てくるイメージです。そして主人公が、何らかの手段で「新たな肉体を得る」というのも、手塚漫画に繰り返し出てくるテーマです。
医者だった手塚と近代人のゲーテとに共通するのは、「科学」ではなかったかと思います。ゲーテは、科学者でもあり、光に関する論文を発表していました。詳しくはゲーテとニュートンで。ゲーテのファウスト博士は医者として、人々の尊敬を受けていました。この場面は手塚の「ファウスト」にも、あります。医学とファウスト博士との関連付けは、「ネオ・ファウスト」にもあります。

水木しげる「悪魔くん」「ゲゲゲの鬼太郎」

「悪魔くん」(1966年〜1967年連載)や「悪魔くん 千年王国」(1970年〜1971年連載)は、主人公が悪魔の力を借りて、地上に楽園を築く、救世主となろうとする話です。ゲーテのファウストをもとにした、と水木先生ご自身が、「水木サンの幸福論」で語っています。旧約・新約聖書と「ファウスト」の影響が強い物語です。悪魔くんに悪魔の呼び出し方を教えてくれるのは、「ファウスト博士」です。博士に渡されるのは「ソロモンの笛」です。ゲーテのファウストに、笛は出てきませんが、「ソロモンの鍵」という本の名は出てきます。千年王国の悪魔くんは、メフィストを呼び出そうとして、地霊を呼び出していましたが、ゲーテのファウスト博士も、気まぐれで地霊を呼び出していました。それから、千年王国で巨大なスフィンクスが登場していました。ゲーテの「ファウスト」にも、手塚の「ファウスト」にも、スフィンクスは登場します。ゲーテでは、ウルトラマンの怪獣扱いではなく、女の魔物としてメフィストに口説かれていました。「悪魔くん」の何がすごいかというと、1960年代に「ゾハール(光輝の書)」なんか読んでいるところです。現在では、「ヴェールを脱いだカバラ」というタイトルで、邦訳も出ていますが、この時代ではまだ未訳です。魔術的な方面に関しては、水木先生は確かな知識の持ち主です。また、「悪魔くん」には「百目という妖怪の子供が、自分の父親はほんものではないと訴え、その正体は宇宙人である」という話があります。「カプグラ妄想」で紹介したパターンですね。

「ゲゲゲの鬼太郎」にも、悪魔が登場する話はいくつもあります。

藤子不二雄A「怪物くん」「魔太郎がくる!」

「怪物くん」の連載は、1969年です。怪物くんは、狼男、フランケン、ドラキュラ、ユニバーサル映画のモンスター中心の作品です。ですが、怪物くんには、怪物くんが悪魔と闘う話がいくつかあります。「怪物くん」に登場するメフィストは、いじめられて困っている人間の少年につけこんで、契約書にサインさせていました。また、怪物くんはプリンス・デモキンという、悪魔ランドに住む、悪魔の王子と仲良くなったりします。

「魔太郎がくる!」は、第一話から主人公がサタンに祈りを捧げています。悪魔関連の話が多い作品です。

永井豪「魔王ダンテ」「デビルマン」

「魔王ダンテ」は、1971頃の作品です。永井豪は、ダンテの「神曲」に影響を受けています。また、「ファウスト」の影響も受けていると考えます。「ファウスト」には、サバト(ワルプルギスの夜)の描写があります。そこで「古代の悪魔」として「ジレーヌ」が登場します。そう。シレーヌです。言語によっては、セイレーンとか、サイレンともいいますね。古代ギリシアの魔物です。「ファウスト」にも、「神曲」にも、「失楽園」にも、ギリシア、ローマ神話の神や魔物は「悪魔」として登場します。
「デビルマン」は1972年から1973年に連載されました。それでは、ルシファーを両性具有の美少年に描いてたりするので、魔王ルシファーと神の戦いを描いた「失楽園」の影響もあるのでしょう。岩波版「失楽園」には、ルシファーを含む、天使は両性具有であるという考えが、中世にはあったと明記されています。
敗戦国の民である日本人にとってキリスト教の神は、征服者の神です。「魔王ダンテ」や「デビルマン」にはそういう神(God)に対する敵対心があります。

藤子・F・不二雄「ドラえもん」

この漫画家にも、いくつか悪魔の登場する作品があります。『ドラえもん のび太の魔界大冒険』(1983年〜1984年連載)などから判断するに、おそらく童話や児童文学の流れでしょう。ドイツの民話を集めた本である、グリム童話集にも悪魔は登場します。民話の悪魔は、悪賢く、また騙されやすく、不死身に見えて、弱点がある、そんな存在です。

ゆでたまご「キン肉マン」

この作品には、これといった元ネタがみつかりません。文学や聖書の直接の影響よりも、上記にあげたような漫画の影響で、悪魔観ができあがっている気がします。それからこの時代は、映画でも悪魔ブームでした。
悪魔を題材にした映画である「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年)や「エクソシスト」(1974年)や「オーメン」(1976年)なども、『キン肉マン』に影響を与えている可能性があるでしょう。

読者応募超人という制限が「悪魔超人」には、あります。ですから、「ホークマンは永井のシレーヌに似ている」と言ってみたところで、応募した読者の発想なのか、それともゆで先生本人の発想なのか、よくはわからないのです。頭に翼が生えているシレーヌは、おそらく永井先生のオリジナルデザインです。普通は、腕が翼か、背中に翼が生えているか、です。ですから、「ホークマンはシレーヌの影響を受けている。実は頭に鳥がとまっていた、という部分がゆでオリジナル」あたりが妥当な推測なのかもしれません。

他にはプラネットマンとジンメンの類似とかでしょうか。超人の名に「ダンテ」があるのも、文学の影響か、漫画の方か、わかりません。

水木の影響はあるのでしょうが、魔法陣がちょっと「悪魔くん」っぽいとか、そういう程度でしょうか。サタンクロスの魔法陣の際に、キン肉マンが思い浮かべているのは「洞窟で魔法陣を描く」光景です。洞窟で悪魔を召喚するのは、有名作品では、「悪魔くん」ぐらいです。
悪魔超人が「7人の悪魔超人」なのは、七人の侍あたりの影響でしょうが、悪魔騎士が6人なのは、「合計13人(キリストと12使徒の数。太陰暦では一年は13か月)」なのかな、と思います。ただそれだと悪魔将軍が余る気がするので、偶然の可能性が高いでしょう。

怪物くんに登場する、悪魔の王子は「悪魔は親不孝で正しいんだよね」と、父親に言います。魔界の王子アシュラマンの設定は、怪物くんにちょっぴり影響されているかもしれません。なぜかというと、天使と同じく悪魔も生殖しないのが、キリスト教の原則のような気がするからです。魔王といっても誰を指すのかわかりませんが、ルシファーやサタンには公式には、ご子息はいらっしゃいません。「失楽園」のルシファーには、罪の子がいますが。お伽話には、「悪魔の娘」も、ちょいちょい出てきますが、その場合の「悪魔」はせいぜい「人食い鬼」程度でしょう。ちなみに、人形で呪う話が、怪物くんでも魔太郎でもあります。

キン肉マンにおいて悪魔とは「サタン」であり、それは影のような肉体を持たない存在であり、悪魔超人という存在を部下にしている。これだけが確実に言えることでしょう。

補足

ルシフェル、Luciferと呼ばれる存在は、当然ながら、言語によって発音が違います。イタリア文学とイギリス文学では、違う名で書かれることになります。この文書では原則として、訳文通りですが、混乱なさった方もいるかもしれません。


初出2008.2.13 改訂2008.2.20

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