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 序章 (1)

 地下水が滲み出して滑りやすくなっているその道を、しかし男は走っていた。彼の知識に間違いがなければ、この地下迷宮ももう終わるはずだ。そしてそこに、彼の求める物がある。

 男は唐突に足を止めた。

 そこは、地下にできた巨大なドームだった。男が二言三言呟くと、手にした杖から数個の光球が飛び出した。しかしそのまばゆい光をもってしても、ドームの全体を照らすことはできなかった。ただ、ドームは丁度中央で、壁によって二分されているのが分かった。

 遠目から見ても、禍々しい壁だった。一面に掘り刻まれた無数の妖魔達は今にも動き出しそうなほどに生々しかった。そして何より、他を圧倒する巨大な蛇。壁の中央にあるその蛇は、王者の威厳を放っていた。

「間違いない……。伝承の通りだ……」

 呟く男の、声も身体も震えていた。

 伝承。今や神話として伝えられているそれによれば、この壁の向こうに、偉大なる神に最後まで刃向かった邪神ミルガードが封じられているという。

 そう、封じられているのだ。神でさえも滅ぼすことができず、封じるに止まった邪神。

 誰もが男の言葉に耳を傾けようとしなかった。ただの伝説だと。男がどれだけ研究・実験結果を揃えて見せても、誰も相手にしなかった。帝国の南西部にあるその山脈、世界の屋根と呼ばれるガロー山脈の地下に広大な迷宮があり、そこに邪神が封じられているなど、誰も信じなかった。

 だが迷宮は実在した。そして無数の罠や守護者達が、侵入者を撃退しようと潜んでいた。それらの存在が、男に確信させた。邪神は必ず居ると。

 同行した護衛や弟子達は残り1人になってしまったが、そんなことは些細なことだ。邪神を蘇らせれば、いくらでも部下の補充は利くのだから。

 男は興奮に体を震わせながら、ゆっくりとドームの中へ足を進めた。

 

 

 

「何故ですかっ、陛下っ!」

 宮廷魔術師マガサは、怒りのあまりに身分の差を忘れて、皇帝に食ってかかった。寄る年波のために薄くなった頭のてっぺんから指先までが真っ赤になっていた。全身で怒りを現しているマガサの視線は、ただ一点だけを睨み据えていた。

 その視線の先には、1人の女が居た。女というには成熟さがやや欠けるその人物こそ、帝国の全てを握る女帝レジーナである。マガサの視線を受けたレジーナは、小さく溜め息を付いた。

「いいから、少し落ち着きなさい」

 たしなめる声は若く張りがあったが、微かな憂いを含んでいた。しかしその憂いを気にする余裕など、マガサにはなかった。

「これが落ち着いてられますかっ。あなたはいつだってそうだ。いつだって、私の研究成果を認めようとしないっ」
「認めないわけではありません。ただ……」
「ただ? ただですって? ハッ」

 レジーナの言葉を遮ったマガサは鼻で笑った。その態度にもレジーナは憂えた瞳を変えなかったが、側近達は色めき立った。もちろん、マガサは気付かない。それほど彼の怒りは深かった。

「ただ危険すぎる? どこがですか? 私に言わせれば直接戦場で剣を振るうことの方が、よっぽど危険ですよ。この間だってそうです。北方の騎馬民族を撃退するのに、我が帝国は果たしてどれだけの危険を冒しましたか? どれだけの兵を喪いました?」
「それは……」
「私の言う通り、城の地下に眠る遺跡を動かしていれば、一兵たりとも喪わずに済んだっ」 

レジーナは思わず唇を噛みしめた。確かに、最前線に送られる兵士のことを、その家族のことを思えば心は暗くなる。マガサの進言に心惹かれたのも事実だ。しかし。

「それでも私は、自らに降りかかる困難は、自らの力で乗り越えるべきだと考えます」

 女帝は、静かな声でそう答えた。

 今度はマガサが唇を噛みしめる番だった。まただ。またいつもの展開だ。自分がどれだけ理をもって説いても、皇帝は譲ろうとしない。

 もちろん皇帝という立場にある以上、レジーナは理を重んじていた。今までも、いっそ冷酷とも言えるマガサの政治的・軍事的手腕を重用していたのも、理に寄っているからこそだ。しかし最後の最後で、レジーナは譲ろうとしなかった。偉大なる魔法の力よりも、柔で脆い人間を信じた。

 だからこそ彼女の周りには人が集まるのだろう。しかしマガサは、こんな場所にいる自分が無性に情けなく思えてきた。

「陛下、私は宮廷魔術師という役を頂戴したはずです」
「えぇ、もちろんです」

 マガサとレジーナ。2人の視線がぶつかり合った。

 不意にマガサは、手にした杖を振り上げると、床に叩き付けて折ってしまった。

「どうやら、陛下は魔術師という言葉を誤解しておられるようだ。その誤解、近いうちに解いて見せましょうぞ」

 凄惨な笑みを浮かべながら底冷えのする声でそう告げると、マガサはレジーナに背を向けて歩き出した。誰も引き留める者もないマガサの背中で扉が閉まり、彼と帝国との関係を断ち切った。

 

 

 

 

 そして今、禁断の扉がゆっくりと開き始めた。

 扉の向こうは、広大な地底湖が広がっていた。その中央に小島があるのが見えた。素早く呪文を唱えたマガサは、ふわりと宙に舞い上がった。唯1人生き残った護衛が慌てて何か叫んだが、マガサの耳には届かなかった。

 風を切って小島に舞い降りたマガサだったが、そこにある物を目にして目を見張った。

「まさ……か……?」

 それは、ミイラだった。四肢を、胴を、首を枷に捉えられ、壁につなぎ止められた、干涸らびた死体だった。遙か神話の時代、その力を封じられた邪神は、悠久の時の流れに、ただ流されるしかなかったのだ。

 伝説では違っていた。伝承では、今も邪神は復活の時を虎視眈々と狙っていると、そう伝えていた。邪神を枷から解放すれば、世界の全てが手にはいるはずだった。それなのに。

「ふ、ふは、ふはは、はーっはっはっ、ははははははっ」

 力無く膝をついたマガサは、狂ったように笑い出した。指輪の魔力で跳んできた護衛も、あまりといえばあまりの現実に放心しきって、ただ呆然とミイラを見ていた。

 その時、うなだれていたミイラが、顔を上げた。

「ヒィッ」

 護衛の上げた悲鳴の声が、マガサを狂気の世界から呼び戻した。マガサが訝しげに護衛を見ると、護衛は震える手でミイラの方を指差していた。

 顔を上げたミイラ。その窪んだ眼孔の奥で、赤い瞳が光っていた。顎が微かに動いた。

「生きている? それに……、喋ろうというのか?」

 ミイラは顎をもそもそと動かそうとしているようなので、マガサの言うとおり何か話そうとしているのかも知れない。しかし、待てど暮らせどミイラの口から声が聞こえることはなかった。

「いや、生きている。生きているんだ。何か方法が……」

 希望を取り戻したマガサが、目まぐるしく頭を回転させ始めたときだった。

『やだねえ肉体ってのは。ちょっとメンテを怠ると、すぐこれだ』

 突然、マガサの頭の中に声が響きわたった。思わず周囲をキョロキョロと見回してしまったマガサだったが、すぐにミイラに目を戻した。そしてまた、声が響いた。

『俺以外に、ここには誰もいないって。で、こんなとこまでわざわざ何の用だ?』

 マガサは、いつの間にかカラカラになっていたノドに、唾を流し込んだ。渇ききったノドがひりひりと痛んだが、どうにか言葉を発することができた。

「何の用? ふふ、そうだとも。もちろんお前に用があって来たとも、邪神ミルガードよ」
『…………?』

 含み笑いで告げるマガサだったが、答えは妙な”間”だった。

 マガサは焦りを覚えた。何だ? 自分は何か変なことを言ったのか? 何か手順を間違えたのか? まさかっ? まさかまさかまさか?

 マガサが疑心暗鬼に囚われたとき、再び声が聞こえてきた。

『どうも情報格差があるようだ。そもそも俺は、自分がどれだけこの世界から離れていたかも知らんのだ。そこら辺を教えてもらえるとありがたいが……』

 そう言われてもマガサも答えられない。邪神については”神話の時代”としか伝えられておらず、具体的に何年前という記述はないのだから。そして、マガサが答えを窮した理由はもう1つあった。この邪神、どうも思っていたのと少し違う。

『いや、安心しろ。何となくだが自分の役割は理解できてきたぞ』

 マガサの心を読んだのか、どこか言い訳がましい言葉が返ってきた。

『それで、どうするね? どちらが私の贄となる?』

 弾かれたように、マガサと護衛は顔を見合わせた。護衛は恐る恐る自分の顔を指でさしてみると、雇い主は重々しく頷いて見せた。

「い、イヤぁっ!」

 悲鳴を上げた護衛が逃げ出そうとしたときだった。

『では、期待に応えるとしようか』

 瞬間、ミイラの腹が割れ、蠢く触手が溢れ出した。その1本が護衛のふくらはぎに絡み付き、強引に引きずり倒した。


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